小さな花たち

旅先や日々の生活で見過ごされそうなひとときを、思いのままに綴ります

「壁をよじ登る男」

この写真は、かなり前に訪れた、ある美術館の屋外に展示されている作品、「壁をよじ登る男」だ。これを見ただけで、どこの美術館のことを書いているのか、わかった人もいるに違いない。それくらいこの美術館の代表的な作品である。

これは、あくまでも私の印象だが、とてもインパクトがあり、どこかユーモラスでもある。この作品は、360度、いろいろな角度から見ると面白い。顔の前に立って、あるいは、しゃがんで顔を見上げると、突き出た上半身がとても迫力があり、いかにも大きな壁を乗り越えようとしているかのように見える。ところが、横から見ると、意外と壁が薄く感じる。そこで、この男性の表情と考え合わせると、男性のこんなつぶやきが聞こえてくるようだ。「あれ、意外とこの壁、簡単に乗り越えられそうだな」(あくまでも、私個人の感じ方である)。

この美術館は、富士山に連なる山の中腹にあり、最寄り駅からバスでずっと上がってきた、緑の多い丘にある。晴れた新緑の美しい季節に行くととてもいい。緑が生い茂る入口を抜けて中に入ると、開けた丘の上に展示された作品の奇抜さ、不思議さ、強烈なインパクトに、まず圧倒される。そのうちの一つが、「壁をよじ登る男」である。その開けた丘の上から下を見下ろすと、ヨーロッパのような美しい庭園に、またいくつかの作品が展示されているのが見える。

この丘は、展示棟につながっており、順路としては、開けた丘(上部庭園)→展示棟に入り、階段を下りて階下へ→ヨーロッパのような庭園(下部庭園)という感じだろう。展示棟の中もまたいい。人があまり多くいないせいか、静まり返っている。その空間に、不思議なインパクトを持つ作品ばかりが並ぶ。静かで暗い空間で、どこか冷たい雰囲気だが、人物を対象とした作品が多く、作品の前に立つと、どこか温かみを感じる。館内に入った瞬間は、あまり作品数が多いと感じられず、やや物足りない印象を持ってしまうのだが、「壁をよじ登る男」のような面白い仕掛けが散りばめられているように感じ、それに夢中になる。一つ一つの作品の周りをぐるぐる回ったり、しゃがんで見上げるなど、いろいろな角度から見たりしていると、相当の時間を要することがわかる。展示棟から外に出ると、クレマチスなどの花が美しい庭園に出る。作品もいくつか展示されているが、ここでは、彫刻だけでなく、緑と花を一緒に楽しむことができる。

この美術館は、都心や主要都市にあるような大規模な美術館ではない。しかし、だからこそ、落ち着いて、一人静かに作品と向き合い、作品と対話することが可能だ。私が初めてこの美術館を訪れたときは、仕事でストレスを抱えているときだった。しかし、別にストレスを解消するために来たわけではなく、当時、たまたま最寄り駅の近くに住んでいて、なんとなく興味があって訪れただけだった。実際に来てみて作品を目にした瞬間から、仕事のことどころか、自分が何者であるかすら忘れてしまい、空気のような存在になって、夢中で作品の世界に入りこんでしまっていた。美術館を出るときには、この丘の上から見える空のように、頭も心もすっかり晴れ渡っていた。あの「壁をよじ登る男」のように、意外と簡単に壁を乗り越えられたのかもしれない。

クレマチスの丘 ヴァンジ彫刻庭園美術館静岡県

※現在は、施設の修繕などのため、休館中です。開館から20年が経ち、屋外展示作品や施設などの修繕が必要でしたが、コロナ禍での来館者数減少により存続が危ぶまれていました。そこで実施されたクラウドファンディングでは、短期間のうちに目標額を大きく上回る寄付が集まるほど、この美術館を愛する多くのファンがいます。以下の動画では、休館前の美術館の魅力を存分に感じることができます。また再度、開館した際には、ぜひ足を運んでみてください。

 

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