小さな花たち

旅先や日々の生活で見過ごされそうなひとときを、思いのままに綴ります

空を見上げて思うこと

午前中、せわしなく用事を済ませ、午後の眼科の予約時間まで1時間もなく、テラス席でパンをかきこんでいたときのこと。ふと空を見上げて思う。(あ~、いい天気だなあ、緑がきれいだなあ)。ところがなぜか次の瞬間、思考は全く違った方向へ。(そういえば、広島で原爆が投下された日も快晴だったという。例えば、今、投下されたら、上に見えているテラスの屋根も、生い茂る緑も、その後ろに見える高層ビルも一瞬で吹き飛んでしまう。あっという間に、この色鮮やかな景色は、暗いモノトーン1色になるはず。そういった過去の犠牲のもとに、今日のこの青い空が守られているんだな)。さらに思考は続く。(しかし、この青い空をずっとずっとたどって行ったら、今まさに戦時下のウクライナやガザにつながっていく。この青い澄んだ秋の空は、途中からどんどん色が変わっていって、やがて爆撃の煙や地上から舞い上がるがれきの粉塵などで灰色となった空につながるのか…)。

先日のテレビのニュース番組。アメリカでパレスチナを支持するデモに参加していた12歳の少女が、泣きわめきながら、カメラに向かって叫んでいた。「私と同じような年の子供たちが殺されてしまっているの!」。この年齢で、遠く離れた国で起きている惨事が、家族や親しい友だちの身にふりかかっているかのように考えられるなんて…。自分が12歳だったとき、すでにパレスチナイスラエルの問題は存在していた。しかし、問題の存在どころか、パレスチナイスラエルがどこにあるのかすら、知らなかったのではないか…。

今の時代は、あらゆるメディアで、たとえ戦争をしている国であっても、現地から生の映像が送られてくる。私たちは、まるで自らが戦時下にあるかのように、メディアを通して現状を知ることができる。本来なら、自ら体験しているかのように臨場感をもって伝えられるから、戦時下の人たちの気持ちに寄り添いやすくなった時代と考えるべきなのだろうが、私たちの関心は、過去から進化しているだろうか。今は映像があまりにも溢れすぎていて、メディアを通して戦争を「見る」ことに慣れてしまっていないだろうか。

2014年のイスラエル軍によるガザ侵攻時、私は日本にあるNGO団体で働いていた。人道支援を行っている団体とはいえ、今すぐ空爆を止めて人々を助けに行くことなどできず、できることは、現地の状況をより多くの人に伝えることぐらいだった。当時、私の感触では、メディアを含め、関心を持ってくれる人は少なかった。「日本から遠いところで、いつも紛争や衝突が起きている場所」といったイメージで捉えられがちだったように思う。だから、現状を伝えただけでは不十分だと思い、私は悩んでいた。どうしたら、すぐ近くで起きていることのように、自分の愛する家族や親友に起きていることのように感じてもらえるのか。

そこで注目したのは、毎日、メールで送られてきていた現地スタッフの日記だ。彼は、NGO職員としてガザで働いていたが、彼の日記はすごく個人的なものだった。仕事のことはほとんど書かれていず、空爆下での停電の中、息子がろうそくの明かりで勉強するのを見守った、というような、現地の日常を綴ったものである。私はこの日記を、日本の団体のHPにアップし始めることにした。ある意味で、それはかなり勇気のいることだった。彼は空爆下で日記を書き続けている。明日、この日記が途絶えることもあり得る。私たちは、それを見届けなければならないのか…。しかし、毎日送られてくる日記は、彼の心の叫びだ。これを聞き流すわけにはいかない…。そういう思いで、思い切ってアップし続けることを決断したのだ。

すると、あるとき、それがメディアの目にとまり、ヤフージャパンのトップページのニュースとして、取り上げられた。あっという間に、団体HPのアクセス数が激増した。これまで、「遠い国でいつも起きていること」と思われがちだったテーマに、関心が寄せられたことが手にとるようにわかった瞬間だった。このブログと同じように、日記はとても個人的なものだ。彼はNGO職員としてではなく、愛する家族をもつ一人の父親として日記を書いた。父親として、空爆におびえる息子の恐怖や不安を取り除くこともできず、ただ抱きしめてあげることしかできないやるせない気持ち。親としてわが子を守ることを約束できないふがいなさ。そういった思いが、多くの人の心に届き、自分の家族や身近な人に起きていることとして、受け止められたのだろう。

あれから約10年経とうとしているが、今はさらに予想もしなかったほどに悪い方向へと進んでいる。現地の惨状がどれだけ生々しく伝えられても、私たちは一人の人を助けることすらできないのかと、どうしようもない無力感をもってニュースを見つめている。そんなとき、今日朝のNHKニュース「おはよう日本」で、長年、国連職員として、ガザ地区の子どもたちの支援に関わってきた清田(せいた)明宏さんが、あるパレスチナ人の若者の話を紹介してくれた。彼は、画家を目指していて、生き延びることができれば、今年、大学を卒業予定である。最近、同じように絵を描くことが好きだった親友を爆撃により失った。彼自身は助かったものの、これまで描いた作品や画材道具などすべてを失い、将来を考えられないどころか、明日生きているかどうかもわからない、と。清田さんは、「将来に向けて一生懸命頑張っている子どもたちが、ガザにはたくさんいるのに、こういう戦争で夢を失って、どうなるかわからないという状況は非常に悲しい」と声を詰まらせていた。

明日生きているかどうかは本当にわからない、と話すその若者の望むことは、ガザの現状を知ってほしい、ということ。「天井のない監獄」とも言われるガザに、これだけ多くの犠牲者が出なければ、世界が関心を向けてくれない、ニュースにもならない、ということは、もうなくなってほしい。まずは、私たち一人一人が、意識的に関心を持ち続けよう。私自身、今日の思いを忘れないように、見上げた空の写真を撮り、席を立った。

・「おはよう日本」の今朝のニュースは、現在、NHK プラスで配信中です。

https://plus.nhk.jp/watch/st/g1_2023102416035

・戦争については、以前のブログ「ごく普通の景色に隠れたもの」で、沖縄のことにふれています。あわせて読んでいただけたら、うれしいです。

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