小さな花たち

旅先や日々の生活で見過ごされそうなひとときを、思いのままに綴ります

『孤独のグルメ』に癒された孤独な夜の時間

当時の私は、起きている時間のほとんどを仕事に費やすような生活を送っていた。唯一の楽しみは、週一度の趣味で習っていたダンスのレッスンだったが、その週1回の数時間ですら、仕事で消えてしまうこともあった。着替えやシューズなどレッスン用の支度をして大きなバッグを持って会社に行っても、会社を出なければいけない時間までに仕事が片付かない。結局、レッスンに行くのを諦め、どうせ行かないのならと、夜10時過ぎまで仕事をしたりする。そんなときの帰り道は、会社から駅までの歩いて15分の道のりが異常に長く、重さが変わっていないバッグも、重くて肩こりになりそうなほどだった。

私の家の最寄り駅まで電車でたったの2駅。会社から最寄り駅まで歩いて15分かかるのに、家までは30分以内で帰ることができた。そこで立ち寄るのが、駅前の24時間営業のSEIYUである。夜遅い食料品売り場に人影はなく、ほとんど貸切状態だ。ここのSEIYUでは、なぜか私の好きな80年代の音楽がよく流れている。当時大ヒットした、リック・アストリーのギヴ・ユー・アップなどが流れていようものなら、ここぞとばかりにストレスを発散させるべく、半ば踊りながら買い物したりした。

そんな感じで少し気分が盛り上がっても、当時、独身で一人暮らしだった私を待つのは、真っ暗な部屋だけ。周りがもう寝静まっている時間に、買ってきたお弁当と、夜食べるには不健康な甘いデザート。深夜近くにマンションの1部屋だけこうこうと明かりがついているのは不用心なので、いつも間接照明のみで食事をしていた。食事のお供はテレビ。あるとき、無意識のうちにチャンネルを変えて、目に留まったドラマが、『孤独のグルメ』だった。

初めて見たときは、主人公の五郎さんが何かを食べているところで、食事のシーンか、と、ドラマの次の展開を待ちながら見ていた。しかし、いつまで経ってもストーリーが先に進まない。ずっと食べ続けているだけなのだ。最初から最後まで食べる過程をすべて見せるドラマなど、退屈でしょうがないはずなのに、なぜかチャンネルを変えることができない。普通のドラマとは違う展開と、その美味しそうな食べっぷりに、思わず見入ってしまっていた。そして何より面白いのは、一口食べるごとに、心の声でなされる食リポ。その卓越した、思いがけない表現に、思わず顔がゆるんでしまう。

例えば、ジャンボギョーザを注文して、テーブルに出されたときの心の声。

 

(ジャンボと言うより、ぽっちゃり)

 

一口食べて、また心の声。

 

(うん、なるほど。食堂のギョーザだ。中華の道と、通(とお)ってきた道が違う味だ)

 

また、別の日に、貝や野菜の入った地中海料理のスープに、パンをつけて食べているときの心の声。

 

(今、俺の中は、夏のパン祭りだ)

 

その落ち着いた心の声が主役のドラマは、寝静まったマンションで見るにはうるさくなく、非常に好都合だったし、疲れた体にも心地よかった。ドラマ全体を通してどこかレトロな雰囲気の撮影の仕方やのんきな(?)BGMもいい。仕事で疲れ切って一人でとる夕食の時間に、一人で孤独に食べている五郎さんを見る。しかし、このドラマでの「孤独」のイメージは、私が感じるような寂しい孤独感ではない。

五郎さんは、確かに一人孤独に食べている。ドラマに登場するほかのお客さんは、たいてい誰かと一緒だったり、楽しそうにわいわい話をしたりしている。五郎さんはいつも一人だ。心の中は夏のパン祭りでも、一人で黙々と食べている。しかし、ドラマを見ている人には、孤独に見えない。なぜなら五郎さんは、孤独でなければ、料理を味わい尽くすのは難しいからだ。日常の食事のときに、一口食べるごとにコメントしたり、心の中で感想を述べたりするようなことは、ほとんどしないだろう。誰かと一緒に話しながら食事をし、話で盛り上がったりすれば、料理の味すらよくわからなかったりする。五郎さんは、孤独にすべての感覚を研ぎ澄ませて食事をすることで、料理を口に入れるごとに、何かしらの思いを抱く。自分なりに、この料理とこの料理をミックスして食べたらおいしいのではないか、などと考えてアレンジして食べてみたり、時には周囲の人が食べているものを観察して、追加注文したりする。

「食べる」ということに全神経を集中させるには、孤独である必要があるのだ。でも、この孤独は、私が一人の夕食のときに感じる孤独のような寂しいものではない。五郎さんは、むしろこの孤独を楽しんでいる。孤独であるからこそ、食べ物と真剣に向き合い、対話をし、すべての感覚を使って味わい尽くす。私は、食べ終わった後に五郎さんが発する「ごちそうさまでした」が好きだ。これ以上、味わい尽くすことがないほど充実した時間を過ごした後の「ごちそうさま」には、本当に心からの気持ちが込められている。

孤独のグルメ』を見終わった後は、私も「孤独」から解き放たれ、五郎さんと同じようなグルメを味わったかのような、お腹も心も満たされた気分になる。深夜に見るこの番組は、明日への活力をくれた。

今は、年末年始に一挙放送されるこのドラマを見るのが楽しみになっている。しかし、年末の大掃除で忙しく動き回っているときに、たまたまテレビをつけてこのドラマを発見してしまうのは危険だ。もはや何も手につかなくなるからだ…。