小さな花たち

旅先や日々の生活で見過ごされそうなひとときを、思いのままに綴ります

自分仕様の世界は幸せ?

この写真は、Google フォトが、昨年11月のベスト写真として選んだものの1枚。なんとなくわからなくもないが、ベスト写真としての選定基準がよくわからず…。それに、Googleに選ばれてもあまり嬉しくもないかな…。

とりわけコロナ後のテレワーク中心の生活で、ネットを使用する頻度が激増しているのだが、最近、なんでもこういった選択や提案が勝手に行われることが多いような気がしている。パソコンを立ち上げれば、美しい海外の風景の写真が表示され、「気に入りましたか?」と聞かれる。気に入った、と回答すると、以降、同じような写真ばかり出てくるようになる。Googleでいろいろなことを検索したり閲覧しているうちに、頻繁に検索していたテーマの記事がトップに出てくるようになる。このブログで、以前泊まった宿について紹介する際に、正式名称を調べるべくその宿のホームページを閲覧したら、早速、旅行予約サイトから、その宿の割引情報のメールが送られてきた。

こういったことを便利で、効率的で、快適に思っていたが、最近、これでいいのか?と思うようになった。きっかけは、このブログを始めたことだ。グループを選ぶとき、「雑談」「日記」というグループを選んだ。なんでもありで、とりあえず問題なさそうだ、と考えたからだったが、これは私にとって最良の選択であったと思う。

ブログは、それを書いている人の世界が広がっている場所だ。とりわけ、「雑談」「日記」グループでは、ありとあらゆる世界が広がっていて、色とりどりである。こういったブログを読むのは、さまざまな物が見つかる雑貨屋さんが立ち並ぶ通りを散策しているかのよう。私は雑貨屋巡りが好きなのだが、それは、何が置いてあるかわからないワクワク感と、思いがけず気に入った物を見つけたときの嬉しい気持ちが得られるからだ。

「雑談」「日記」グループのブログは、まさにそんな感じである。入口のドアはいつも開かれていて、入った瞬間に、そこに一つの世界が広がっている。外に出て、別のお店に入れば、また全く別の世界がそこにある。こんなテーマでブログを書くこともできるのか!とか、こういう書き方もあるんだ~とか、テーマや雰囲気、書き方などあらゆるものが多種多様で、とても刺激的だ。

そこで、これまでの自分が、いかに自分仕様の情報にばかり囲まれていたかに気づく。いつも触れているのは、自分の興味関心に合うこと、自分が好きなテーマばかり。テレワーク中心でいろいろな人と意見交換することも少なくなってしまった。以前よりもネット中心の生活で、検索するときは、すでに自ら検索ワードを設定していて、その情報のみを受け取る。上にも記したように、希望しなくとも、ネット上で自分仕様の情報が優先的に送られてくるので、いつの間にかそういった情報だけに触れている。「多様性」という言葉がよく聞かれるようになったが、そういった自分仕様のパーソナライズされた世界だけで生きていると、どんどん視野が狭くなり、それ以外のものを受け入れにくくなるのではないか、多様な物事に対して、開かれた心を持てなくなってしまうのではないか、と思うようになった。

「雑談」「日記」グループのブログは、多様性の宝庫である。自分のブログにスターをつけてくれた人のブログが、自分のブログとは全く違う雰囲気のものであるときは、とりわけ感動する。こんなにも、自分とは違う世界を持っている人が共感してくれたのか~、と。多様なブログを読んで共感し、スターをつけるという行為自体が、多様性に対して開かれた心を持つことの訓練にもなり得るのではないだろうか。

パーソナライズされた、自分仕様の空間や世界は、確かに居心地がいい。ただ、時にはあえて全く自分仕様ではない世界に自ら飛び込んでいくことで、いろいろな刺激や視点が得られる。そこから自分の世界は無限大に広がっていくし、それ自体がワクワクすることでもある。「雑談」「日記」ブログの数々は、そういった機会をたくさん与えてくれる。

ということで、今日のブログもこの辺で終わりにして、朝の「雑貨屋さん散策」に行ってきます♪